本文へ移動

神経内科通信

2017年10月号 「日野原先生の言葉(その1)」

 今年7月、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生がお亡くなりになりました。数年前、先生には一度だけですが、東京に向かう新幹線の中でお目にかかり、ご挨拶をさせていただいたことがあります。小柄なお身体ではありましたが、講演会の講師として精力的に全国を飛び回っておられるようでした。
 先生は私たちにたくさんの教訓や励ましの言葉を残されていますが、その中で特に私の印象に残っているものがあります。それは「老人のケアは苦労も多い。しかし、いつの日にかあなたも、あなたが老人にしたようなやり方で、ケアされる日が必ず来るのである。」というものです。
 先生のこの言葉は「若者叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの」に通じるものがあるように思います。私自身、五十歳を超えたあたりから、さまざまな病気・ケガを経験するようになりました。特に今年8月に経験した「めまい発作」は忘れられない経験となりました。笑い話のようですが、めまいの専門医がめまいを経験したのですね。ある日の早朝、回転性のめまいで私は床に倒れました。以降、しばらくは発作的に頭がふわふわして身体が揺れる感覚に苦しむことになりました。これは良性頭位性めまいという病気なのですが、この病気を通じて一つだけ気がついたことがあります。若くて元気な時には、病気の苦しみはしょせん他人事なのですが、自分が年齢を重ね、これまで経験のない病気をすることによって患者さんと同じ苦しみを味わうと、この苦しみに共感して寄り添ってくれる人がとても大切に思えるようになるということです。私はこれまでめまいやふらつきに苦しむたくさんの患者さんと接してきて、めまいのことなら何でも理解しているつもりになっていたのですが、めまいは「きつい」「大変」なのではない、「怖い」のだ、自分のめまい発作で初めてこのことに気がついたのでした。今までめまい患者さんの苦しみに向かい合い、共感できていなかった自分を反省する良い機会となったように感じています。
 漫談家の綾小路きみまろさんがかつて言っていました。ショーでの毒舌で年配の方々が大笑いできるのは、それが自分のことではなく他人のことだと思っているからだ、と。でもこれは芸能の世界の話なのでよいのです。医療の現場では、患者さんがもし、自分の家族だったら、自分自身だったら、という想像力が必要になるのかも知れません。すべての医療従事者がそのように思えれば、医療事故や年配者の虐待問題なども今よりはぐっと減っていくように感じます。
 自分の病気からいろいろなことを考えるようになりました。病気にかかることは決してマイナスなことばかりではないですね。(文・神経内科 則行英樹)
TOPへ戻る