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神経内科通信

2017年11月号 「日野原先生の言葉(その2)」

 
 前号に引き続き、今年7月に亡くなられた聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生が残された言葉をご紹介してみたいと思います。
『外科手術や化学療法の発達した今日でもなお、最も大切な治療法の一つは、キリストの時代のごとく、「言葉による癒(いや)し」なのである。』
 この言葉で思い出すことがあります。もう二十数年前のことなのですが、研修医として2年間、救命救急病院で過ごした私はどのような病気でも対処できるような自信過剰におちいっていました。そのような生意気な私に対して、当時の指導医は次のように諭してくださいました。「医学には限界があるし、その知識を用いる医者も万能ではない。自分の力不足を良くわかっている医者ほど、患者さんとの会話の中で言葉を大事にするものだ。最近のお前は診療に温かさがない、患者さんとの会話に心がこもっていない。お前は自分を「言葉の使い手のプロ」だと他人に胸を張れるか?お前は何気なく使う言葉で患者さんを心から安心させられるか?笑顔にできるか ?言葉力のない医者が患者さんに対する共感だの、説明と同意だのを軽々しく口にするものじゃない。謙虚になって考え直せ。」この教訓は今もなお記憶に鮮明で、私の座右の銘なのです。
 前号に記しましたが、私自身がめまい発作を経験したことで、めまいに苦しむ患者さんの立場を理解できたのは医者として大変プラスになりました。今、めまいで外来に相談に来られた方には「それはとても怖い思いをなさいましたね」と当たり前に声をかけることができます。この何気ない一言がめまい患者さんの安心感や癒しにつながるような気がしています。いえ、これは単なる思い込みなのかもしれません。私は言葉の使い手としてまだまだ未熟ですから。
 複数の病院を受診していくら検査しても「異常なし」と言われるだけで症状がまったく良くならない方、進行性の難病をお持ちの方、発作性の病気で苦しんでおられる方に接しますと、医者として無力感、医療の限界を痛感します。前述の日野原先生の言葉に接して、患者さんは私に何を望まれているのだろうか、と常々考えるようになりました。まだ結論は出ていないのですが、お互いに言葉できちんとつながることが大切な気がしています。これも日野原先生がおっしゃった治療法の一つになるのではないかと考えるようになりました。
 言葉の使い手のプロになるべく、現在の私は読書に励み、さまざまな職種、立場の方々と積極的にコミュニケーションをとるようにしています。耳に心地よい、きれいな言葉ではなく、心のこもった言葉、患者さんに届きやすい言葉が当たり前に使える医師を目指しています。( 文・神経内科 則行英樹 )
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