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神経内科通信

2020年5月号 新型コロナウイルス流行に思うこと

 世界規模で流行している新型コロナウイルス感染症ですが、私は医者の立場から、さまざまなことを考えさせられています。今回はそのことを書きます。
 テレビや新聞のニュースでご存知の方も多いと思います。横浜港で大型客船ダイアモンド・プリンセス号の対応にあたった医療従事者とその家族、あるいは院内でコロナ感染が判明した病院の職員とその家族が「ばい菌」呼ばわりされ、社会生活の権利を奪われたり、子どもがいじめにあったりするケースが報告されていました。その病院は社会に向けて抗議文を発表しています。このニュースに私は憤り、悲しみ、やるせない気持でいっぱいになりました。
 得体の知れないウイルスを恐れる気持ちは十分に理解できます。それは私たち医療従事者だってまったく同じです。でも、私の知る限り、この流行を目の当たりにして、医療現場から逃げ出した医療従事者は一人もいません。お金と命とどちらが大切か、と問われれば当然命です。職場である病院を今すぐにでも放棄して、自宅でおとなしく待機していれば、わが身と大切な家族の身の安全を守ることができるのです。しかし、誰一人としてそうはしません。もし私たちが職場放棄をしたならば、言わずもがなで地域の医療崩壊が確実に起こります。助かる命も助けることができなくなります。このような状況の中でも私たちが医療現場から逃げ出さないのはなぜか、それは医療従事者として自分に課せられた使命と責任、すなわち、患者さんと地域医療を守ること、そのことをしっかりと心の中に刻み込んでいるからに他なりません。そのような決意で現場に出ている私たちの大切な家族を「ばい菌」呼ばわりする人たちの心の冷たさ、そして想像力のなさ。私は怒りと情けなさで言葉を失います。
 県外の病院で実際にあった話です。その病院は複数の病院から受診を断られた(俗にいう、たらい回しにされた)発熱患者さんを引き受けました。その患者さんのコロナ反応が陽性だったのです。その結果、その患者さんの受診を引き受けたその病院に数々の電話がかかってきたそうです。「きちんと消毒したのか。病院は安全な状態なのか」「もし自分が感染したらどう責任をとってくれるのか」「病院のせいで、いろいろと日常生活に支障をきたしてしまった」「心配でコロナの検査を受けたい。検査費用は病院が負担しろ」などです。
 病院を信頼し、受診されていた方々の不安や怒りのお気持ちは当然です。その病院だって、発熱患者さんの受診を拒否しようと思えば簡単にできたのです。ですが、冷静にお考えになってみてください。地域にあるすべての病院が「かかりつけ患者さんの安全を守る」という名目で発熱患者さんの診療をいっせいに拒否したらいったいどうなるでしょうか。おわかりのように、一瞬にしてその地域は医療崩壊の状態になります。
 現状ではどの医療機関にも新型コロナウイルス感染症の方が受診する可能性があります。そうであれば、これだけコロナ感染が問題になっている今、その医療施設がきちんと事前準備、あるいは事後対処ができているか、そこが大切になろうかと思います。たとえば、感染が疑われる方は一般の外来とは隔離した状態で診察・検査すること、スタッフ、来院される方々の手洗いや消毒が日常的・定期的に徹底して実施されていること、コロナ感染の方が受診したとして、まずはスタッフに感染が及んでいないことを確認すること、患者さんに接した診療スタッフを(症状がなくても)ただちに隔離すること、などです。仮にコロナ感染症の方が受診されたとして、後日スタッフや入院患者さん方に感染が及んでいないことが証明されたのなら、病院として称賛されることはあっても、非難・叱責にはまったくあたりません。いえ、もし院内で感染が拡がったとしても犯人捜しはまったく無意味なのかもしれません。相手は得体の知れない病原体です。感染者も非感染者も、みなが被害者なのだともいえます。
 以前よくテレビに出ていた、あるカウンセラーが(私は個人的にあまり好きではない方なのですが)次のように言っています。人を不幸にする3つの要因、それは「自己憐憫(じこれんびん):自分がかわいそうだと思うこと」「責任転嫁(せきにんてんか):他の人が悪い、すべては人のせいだと思うこと」「依存心:だれかがきっとやってくれると思うこと」なのだそうです。社会が混乱している今、私はこの言葉をしっかり心に刻みたいと思います。
 未曽有の感染症流行で世界が混乱する中、私たちにはこれまで気がつかなかった社会のいろいろが見えてきています。地味な存在だけれども社会を守る力となっている人々の姿、国家的困難の中で国民に寄り添えない一部の政治家の姿、仕事を失って日々の生活に支障をきたし苦しむ人々の姿、などです。希望や絶望など、日々いろいろな感情は湧きますが、今はこのような事態だからこそ、お互いを思いやる気持ちが必要なのだと考えます。なぜなら、思いやりは絶望を希望にかえるものだからです。「自分はコロナに感染している、だから他人には絶対に移さない。自分を守る、そして他人をも守る。」このような気持ちが浸透していけば、コロナは早い段階で収束していくものと思います。逆に、多くの人々が先ほどの不幸の3つの要素に染まってしまえば、感染症は国をダメにするまでとことん人々の健康をむしばんでいくように感じます。
 いろいろ好き勝手に書いてしまいました。外来通信にこのような記事を載せるのは不適切だと承知していますが、ぜひみなさまには私たち医療従事者の怒りと悲しみを理解していただきたい。今、私が怖いと思うのはコロナウイルスではなく、思いやりや想像力のない人の心です。( 文・神経内科 則行 英樹 )
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