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神経内科通信

2018年05月号 「徒然草(つれづれぐさ)に学ぶ」

私は最近、静かな夜の読書をささやかな楽しみにしています。目下、ハマっている本が、書店で何気なく手に取った「徒然草」です。これは鎌倉時代に吉田兼好(よしだけんこう)が書いたとされる随筆集なのですが、意外にも内容が現代に通用するものが多く大変面白いので、その一説をご紹介いたします。
『(第一五五段)(前略)春暮れてのち夏になり、夏はてて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気をもよほし、夏よりすでに秋は通ひ、秋はすなはち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。(中略)生老病死の移り来ること、またこれに過ぎたり。四季はなほ定まれるついであり。死期(しご)はついでを待たず。(後略)』
『(現代語訳)春が暮れて夏になり、夏が終わって秋が来るのではない。春はそのまま夏の気を生み出していて、夏からすでに秋の気が通い、秋はそのまま寒くなっていくが、晩秋から初冬にかけての暖かく穏やかな晴天の日には草は青くなり、梅もつぼみを持つようになる。(中略)この世に生まれ、老い、病を得て死ぬ、人間のこの移ろいは四季の変化以上に早い。四季は一定の順序に従っているが、死ぬ時期は順序を選ばずにやってくる。(後略)』
 この文章の前半を表面的に読みますと、「春という季節もやがて次第に夏の気配を帯びてきて、夏のうちにもすでに秋の気配がただよっている」ということになるわけですが、兼好法師(ほっし)はそんな当たり前のことを書いているわけではありません。いろいろな解釈があると思いますが、私はこう読みます。
 この世に絶対的な安定というものはなく、たとえ今、人生・仕事の絶頂期にあったとしても、その中にはすでに斜陽化していく「秋」の気配があるぞ、油断するな、と教えてくれているのではないでしょうか。
 私たちが毎日、健康で元気いっぱいに過ごしているつもりでも、ひょっとすると体内に病気の「気配」を宿しているのかもしれません。日頃から十分に健康について考えておくことは大事ですよね。それではもう一節。
『(第七三段)世に語り伝ふること、まことはあいなきにや、多くは皆虚言(そらごと)なり。』この文章も現代語訳してみましょう。
『(現代語訳)およそ世間で語り伝えられていることは、事実のままではつまらないと思われてしまうからだろうか、その多くは嘘で固めたものである。』
そうなりますと世間に星の数ほどもある健康法も、そのまま鵜呑(うの)みにはできません。中には真っ赤なウソやインチキが含まれているかもしれません。一応は疑ってかかり、かかりつけ医に相談を。( 文・神経内科 則行 英樹 )

大事なのだ、とありました。( 文・神経内科 則行 英樹 )

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